元日本代表、武田修宏が追突され頚椎を軽傷。

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みなさん、こんにちは。

元サッカー代表選手があわや大惨事にということでビックリするニュースが入ってきました。

写真が痛々しさを物語ってますねー

その方の名は

武田修宏さん

原因が千葉県の70代男性の車が信号待ちをしていた武田さんの車に追突。頚椎のねんざを負ってしまった模様。

そのはずみで武田さんの車も前に止まる車に追突。玉突き状態となったようですが、他の方にはケガはなかったようです。

今回はそんな”貰い事故”に巻き込まれてしまった武田修宏さんについて迫っていきます。

武田修宏とは

本名:たけだ のぶひろ

出身:静岡県浜松市中区

生年月日:1967年5月10日 現在52歳

最終学歴:静岡県立清水東高校卒業

身長:177cm

体重:72kg

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サッカーとの出会いは小学生時代

武田さんがサッカーを始めたのが小学1年の時、武田さんも始めたのが早いですね。

運動神経が抜群だったようで、サッカーを始めるや静岡県内で天才サッカー少年と呼ばるまでに才能を徐々に開花させていくこととなります。

サッカーをするためにこの世に生まれてきたってとこですかね。まさに生まれ持った才能とはこのことを言うのでしょう。

中学時代

すでに中学校2年時には東海選抜に選出。その年に開催された全日本選抜中学生サッカー大会で見事優勝。

続く3年時には日本ジュニアユース代表にも選出。シンガポールで開催されたライオンシティカップに出場しそこでもゴールラッシュで得点王に輝くまでに結果を残します。

清水東高時代

中学卒業後は、清水東高校へ進学。もちろん1年時からレギュラーを獲得。

センターフォワードのポジションで全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選に出場。見事9得点を挙げる活躍で得点王とMVPに選ばれます。

大舞台になればなるほど結果を残す。それが当時の武田選手だったようですねー。

県の本大会でも5得点を挙げる活躍で準優勝に貢献。大会優秀選手に選ばれ高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征に名を連ねます。

その後国体でも大活躍を果たす武田さん。清水東高を全国トップレベルのチームに押し上げ、さらにその中心人物とし君臨するようになります。

3年時に主将を務めたものの、冬の高校選手権予選では準決勝で敗退してしまいます。

高校3年間の集大成を優勝で飾れなかったことは大いに悔しかったことでしょう。

異例の実業団入り

(引用:twitter

高校卒業後の武田さんは実業団でサッカーを続けていきます。時は1986年。入団したのが当時日本サッカーリーグ1部だった読売サッカークラブ。

まだJリーグもなかった当時ではありましたが、高卒からの実業団入りした人は武田さんが初めてだったようです。

このころから将来の日本代表は約束された存在だったことは間違いありませんでしたね。

入団初年度から試合に抜擢され、1986-87シーズンに11得点を挙げる活躍で2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献。この活躍により初年度の新人王とベスト11、日本年間最優秀選手賞を受賞。翌年には念願の日本代表にも選出

ソウルオリンピック予選に出場、第1戦のインドネシア戦で代表デビューを飾ると、この試合で代表初得点を記録。

またまた大舞台での強さを世界へ見せつける結果を残すこととなりました。

途中スランプからか代表からも外れた時期も経験することとなった武田さん。

1989年から90年のシーズンには13得点を挙げスランプを克服。翌1990年に代表へ復帰。1990年-92年シーズンのリーグ連覇に貢献した。

このころにはもう一人のスーパースター、三浦和良もチームに加わり、武田さんとの名コンビが成立。サッカー人気の火付け役としても欠かせない存在となっていきました。

Jリーグ発足、ヴェルディー川崎でプレー。

1993年のJリーグ発足ともに読売クラブはヴェルディー川崎となり、引き続きプレーを続けることとなる武田さん。

この当時は日本が一瞬サッカー一色に染まったそんな時期でした。

ウェルディーでは三浦さんやラモスさん、北澤さん、柱谷さんなどのトップ選手とともにウェルディーの全盛期を築いていきました。

Jリーグ時代にも日本代表に選出。日本が初のW杯出場がかかったあのイラク戦のロスタイムでの痛恨の敗戦を経験することなりました。

当時ジュビロ磐田に在籍していた中山雅史選手がベンチで泣き崩れるシーンが日本中に流れ、”ドーハの悲劇”と呼ばれるまでになりました。

その後ヴェルディを離れることとなった武田さん。地元磐田市のジュビロ磐田→ヴェルディに復帰後、京都パープルサンガ、ジェフユナイテッド市原へとチームを転々とする時期が続きました。

そして2000年にはパラグアイのスポルティボ・ルケーニョに移籍。海外での活動の場を求めましたが、わずか3ヶ月で退団することとなりました。

2001年引退を発表

2001年、川崎から本拠地を移転した古巣の東京ヴェルディ1969へ三たび復帰を果たした武田さん。

残念ながらこの頃の武田さんにはすでにピークだった頃の力は残っていなかったようです。

チームでの活躍と日本代表復帰を目指したが、その年を最後に現役引退を発表することなりました。

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引退後は、サッカー解説やタレントとしてもテレビ出演の機会が増えた武田さん。

何と言ってもルックスがいいですからねー。確かにタレントしても十分通用できるかっこよさを持っています。

そんな武田さんの今回の追突事故でした、、、

まとめ

今回は不運な追突事故に見舞われた元サッカー代表、武田修宏さんについて迫ってみました。

いやー、本人が最もショックだったことは確かでしょう。そして命に別状がなかったことが何よりの幸いでした。

今回も高齢者の絡む事故だったようで、いつどこで自分も巻き込まれかもと思うと落ち落ち運転していられないのが今の日本なのでしょうか。

何はともあれ、武田さんには1日も早い復帰を祈念しています。

では、また。

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