みなさん、こんにちは。
今回はプロ野球ネタです。
19歳でホームラン30本をかっ飛ばすスラッガーが現れました。
その選手の名前はヤクルトスワローズの
村上宗隆
(引用:ヤクルト・村上が今季31号 清原に並ぶ10代最多本塁打 打点は中西に並ぶ高卒2年目以内最多記録)
2017年にヤクルトへ入団した村上選手。今年は1軍に定着。ホームランを量産中ですが、実は高校時代から怪物ぶりを発揮していた村上選手。
今回、そんな村上選手の高校時代に迫っていきます。
村上 宗隆とは
(引用:村上宗隆)
本名:むらかみ むねたか
生年月日:2000年2月2日 現在19歳
出身:熊本県熊本市
最終学歴:九州学院高等学校卒業
身長:187センチ
体重:95キロ
19歳でヤクルトの4番!村上選手の高校時代を振り返る
(引用:選手図鑑)
プロフィールに書いたように村上選手は九州学院高等学校出身。さすが村上選手!入学当初からパンチ力には評価が高かったようですでに1年生のレギュラを獲得。
夏の大会では4番打者としてチームの”看板打者”として成長していました。その年、九州学院は見事甲子園に出場。残念ながら1回戦で敗退と悔しい結果となりましたが、村上選手も甲子園ではヒットを打つことができず、何とも消化不良な夏の甲子園となってしまいました。
それでも村上選手は高校3年間でホームランを量産。通算ホームラン数は52本を記録。九州のスラッガーとして”肥後ベーブルース”とまで言われるまでになりました。
高校時代の村上選手を育てた監督とは
(引用:サンスポ)
将来のプロ野球を代表する高校球児となった村上選手。その裏には高校時代に村上選手を育てあげた指導者の存在を忘れてはいけません。
その指導者とは母校でもある九州学院高校の坂井宏安監督。坂井監督自身も日体大から甲子園出場経験を持ち、母校の監督として甲子園には春夏通算10回出場させてきた方になります。
そんな坂井監督がはじめて村上選手を見た時にはそのバッテングの凄さに圧倒されたそうです。
すぐにスタメンとして起用して、日本を代表する選手に育てあげようと心に決めたそうです。
日本ハムの清宮選手の存在
(引用:AREA)
才能の開花に必須の要素として”ライバル”の存在も大きく影響します。村上選手の場合はそのライバルが日本ハムに入団した同級生の清宮幸太郎選手でした。
(ちなみに2017年の高校生ドラフトではヤクルトの第一指名は清宮選手でした。7球団競合の結果、日本ハムが交渉権を得たため、村上選手はハズレ1位としてヤクルトに入団が決まります。)
清宮選手が入学した早稲田実業とも村上選手が1年生の時、練習試合の経験を持ち、そこでお互いがホームランの競演を披露。
村上選手の力も相手に見せつけた格好になりましたが、当の村上選手も自分以上に清宮選手の技術に刺激を受けたそうです。
捕手への転向
甲子園まではファーストがポジションだった村上選手。甲子園敗退後は坂井監督の薦めでキャッチャーにコンバートすることとなります。
キャッチャーといえば、野球で最も頭脳を使う守備位置。広い視野を持って野球してほしかったという坂井監督。
結果、自分自身のバッテングだけに止まられず、チームバッテングも考慮した打席も見られるようになり、村上選手のプロへの下地を築く一助となりました。
まとめ
今回は若干19歳でヤクルトの和製大砲に成長した村上宗隆選手の高校時代について迫ってみました。
本日(2019年8月27日)、横浜タジアムで行われた対ベースターズ戦で31本目のホームランを達成。
この記録は1986年に新人だった当時の清原和博選手(西武)が打ち立てた10代最多本塁打記録に33年ぶりに並ぶものとなりました。
この調子だとこの記録も軽く抜き去っていくでしょう。そして村上選手のポテンシャルの高さをこれからも見せつけられる日々が続くことでしょう。
対してヤクルトは単独最下位。これは残念ですが、、、、
では、また。